夜の見回りというのは、非常に神経を使う仕事である。
なぜなら「眠い」「疲れた」「腹減った」と三拍子が揃うような時間帯の仕事だからだ。
―――最後の一つは、たいていの人間が否定する箇所だが。
そしてこの見回り―――城内の場合は足音にも多少の気を使う必要があるのだ。
以前にも見回り中の一兵卒が鼠を追いかけて走った際、
足音の大きさによって目を覚ました人間が何人もいるとかいないとか、という噂がある。
ちなみに城下町―――主に歓楽街などの見回りの場合は、常に周りに気を配り、隙を見せてはならないというのが暗黙の了解である。
つい最近もギュスターヴの側近の一人が、歓楽街で起こった喧嘩沙汰に巻き込まれて、
そのどさくさにまぎれて財布をスラれかけるという事件も起こったらしい。
あれ以来、炎の将魔は夜間の城下町の見回りを極力避けているようだが。
だから夜の見回りは、出来れば避けたい仕事なのである。
だが―――。
そんな仕事をあてがわれているのは、他でもないエーデルリッターであった。
その日の市街地の見回りは、最年長と最年少という、一見奇妙な取り合わせであった。
その日は大きいトラブルもなく、無事に見回りを終えてハン・ノヴァ城に引き返すところである。
二人で酔っ払い五名ほどを路上で転がしたが、それは些細な事件というものだ。
「っく〜…眠いなぁ」
「充分に動いても、眠気は覚めないのか」
トーワは小さく欠伸をすると軽く伸びをしながら、いかにも眠そうな口調で言った。
彼のその言葉にモイは少し不思議そうに言ったが、彼はいつもと変わらない表情である。
「あれは充分な動きじゃないんだけど〜…普段の俺はもっと素早いもんね」
モイは、トーワのその呟きに微笑みながら、軽く相槌を打った。
かなり自信に満ちた言葉なのだが、それは紛れもない真実でもある。
トーワの俊敏さはエーデルリッターの中でも群を抜いているのだ。
そして、その素早さは戦でも日常生活でも大いに生かされているという。主に雑用や情報伝達、いわゆる使い走りなどに。
「もう見回りも終わりだから、早く帰って寝ようか」
「うん」
ハン・ノヴァの城下町の中央の街路を、上弦の月が淡く照らしていた。
明日には満月になるだろうか。少しだけ欠けたそれは、二人を見守るようでもあった。
モイの言葉に、トーワは素直に頷いていた。
何故だろう、と獣の将魔は不意に思った。
「(俺ってこんなに素直だったっけ?)」
改めて考え直してみると、未だにモイには憎まれ口を叩いた事がないような気がした。
そして、彼に誰かの面影を重ねている自分に漠然と気が付いた。
だがその事をモイに告げてみようかと思ったときに、トーワは突然足を止めた。
「上等じゃねぇか、兄ちゃんよぉ!」
歓楽街ではよくあることだ。深夜だと尚更である。
そして、夜の見回りの当番の交代の時間辺りは特にこういう暴力事件が多発している。
トーワはモイの方を振り返った。彼は頷き、トーワを促した。
彼らが駆けつけた頃には、既に事は終わりの頃だった。
恐らく、犯行は三人ほどのグループで行われたのであろう。
彼らが来た時には、二人は何処かへ走り去ったところだったのだ。
しかしあと一人は―――石畳の路地に、驚きに見開かれた目をしたまま、首を晒していた。
胴体は、当然路地に放り出されるような形で倒れている。首だった場所からは、多量の血。
そして、あともう一人。
右手には両刃の長剣が握られていた。その剣は、一見鋼に似ているが、不思議なアニマを放っている。
もう片手には、奇妙な光沢を放つ卵。
鮮やかな金髪は月光を反射して、時折淡い輝きを見せている。
服装で目立つところと言えば、蔓を意匠化したような刺繍が入った、高い襟か。
その人間はトーワ達の方を振り向いた。
常緑樹の葉のような緑色をした目は、冷たい輝きがあった。
だが彼らのほうを見ると、「なんだ、お前達か」と少々驚いたように言った。
「ギュ、ギュスターヴ様…!?」
と言うか、それは二人の上司―――「高貴なる騎士たち」の主、ギュスターヴであった。
何をしているのか。
いやなぜここにいるのか。
この時間である意味でもあるんだろうか。
いくつもの疑問が頭の中を往来したが、石の将魔は彼らの主に尋ねた。
「こんな所で、何をしていらっしゃるのですか」
その疑問を口にするのが、精一杯だったと言ったところか。
トーワの方も、ただただ驚くばかりだったようで、先程から暴漢の首とギュスターヴの剣―――ガラティーンとを見比べている。
「なんだ、私がこうやって深夜に徘徊するのが不満か?」
「散歩ならまだしも、徘徊はどうかと思いますが」
ギュスターヴは、事も無げにあっさりと、そう言い放った。
まったく悪びれた様子もなく、おそろしく堂々とした立ち振る舞いである。
だが、モイの方も負けずに毅然とした口調である。
「深夜警備の人手が足りんからな、私もこうやってこの辺りを歩き回っているのだが」
「じゃあなんで人を増やしてくれないんですか」
ギュスターヴの言葉に、トーワは不満の声を上げた。
彼の抗議も、もっともである。ハン・ノヴァは兵士の数は有り余っているのだ。
彼らはヤーデ伯を倒してから、多くの兵を募ったのだ。
当然、それに呼応してやって来た兵士志願者はかなりの数に上っている。
「問題を起こしそうにない奴らでないと、この仕事は出来ない。
訓練もろくにしていない兵だ、なかには野盗上がりの奴もいるのだから」
なるほど、信頼できないような者にはこの仕事を任せたくないようである。それもそうだ。
自分の目が行き届かない場所で誰かが事件を起こしても、自分は責任を取れないのだ。
いや、モイにとっては、彼が責任を取ろうとしているようには見えなかったが。
だからこそ、まあ気心の知れた長年―――といっても、三、四年の部下に任せているわけなのだろう。
多分エーデルリッターなら、「うっかり」でもない限り大きい事件は起こさないだろう、
と判断したのだろう。
「はぁ…そうなんですか。じゃ、俺達はこれで」
トーワはどうも微妙に納得がいかない顔をしていたが、それよりも眠気が勝ったようだ。
その話を切り上げると、さっさと城のほうに歩いて行った。
「…ちゃんと処理して下さいね。ゴミ箱など、もっての他ですよ」
モイのその忠告だか注意だか警告だか、なんか馬鹿にされた気がする発言を、ギュスターヴはいつになく爽やかな笑顔で聞き流した。
そして彼は、その死体の胴体を引き摺り、片手に首を持って、この都市の近郊の古戦場へ足を運んだ。
その次の日、モンスターが人間の死体を貪り食っていたのは、多分言うまでもない。
「ギュスターヴ様の夜這い?」
「深夜徘徊だよ」
その翌日の昼休み、エーデルリッターは小会議室を占領して雑談など楽しんでいた。
なんだかんだ言いながら、エーデルリッターは六人の結束力が強く、仲もいいのだ。
だからこそ、こんな休憩時間にも六人全員で集まって、こうして談笑しているのである。
今は、モイの姿はない。またギュスターヴ様の仕事の手伝いでもしているのだろうか。
「どこをどうすれば、そういう間違いができるんだよ」
「いや…語感が似てると思ったんだけどな。違うかな」
サルゴンは、トーワに突っ込みを入れられた後、さらにボルスからも冷たい目線を受けた。
彼はあっさりと受け答えると、侍女が煎れた熱いお茶を口にする。
ほろ苦い香りと湯気が広がった。
確か、ソールズベリ平原辺りで生産された茶だと言っていただろうか。
香りもそれなりによく、味に深みがあって一般的に言えば美味いのである。
苦味が強いものが少々苦手なサルゴンにとっては、あまり好みではないのだが。
彼はティースプーンで砂糖を一杯すくって、茶の中に入れた。
「だいぶ違うと思うがな」
ボルスは呆れ顔で、やれやれと言ったように肩をすくめた。
「第一夜這いっていうのは…」
ボルスが今回の雑談での重要語句―――っぽいものの解説を始めようとしている時、
サルゴンは二杯目の砂糖を入れるかどうか迷っていた。
「いや、やっぱり面倒だから説明しない」
美形騎士は何やら言い回しを考えていると見えたが、彼はそうあっさりと言い放った。
彼はだいぶ気分屋なところがあるので―――と言うか、わざわざ説明する必要もないと判断したのだろう。
いや、それでも説明しようとしていたところを突然辞められると気が抜けるのだが。
「え、ミカそのお茶に何も入れないの」
「何言ってるのよ、そのままの味が一番おいしいじゃない」
「へぇ、じゃあ女の子は甘い物好きってのも一概にそうとは言えないわけだ」
そんなところに、ミカとイシスの雑談が聞こえてきた。
この際、夜這いがどうだ深夜徘徊がどうだとかいう暗いと言うか怖い話題よりも、
そういう一般的な、というか平和な話題でのんびりと過ごそうか、という感じがあった。
こうなってしまえば、昼休みはやはりただの雑談に限るのだ。
「そうに決まってるでしょ。と言うか私も甘い物は好きだけど、お茶はそのままが好きね」
ところでサルゴンは、迷った末、茶に二杯目の砂糖を入れたようだ。
その様子を見たトーワは、サルゴンに悪戯っぽく声をかけた。
「女の子は甘い物好きって言うよねぇ」
「一概にそうとは言えないんだろ」
サルゴンは獣の将魔の言葉に苦笑いしながら、茶をスプーンでかき混ぜた。
緩やかに螺旋を描くような波がカップに浮かんで、一滴の茶で波紋を落とす。
ちょうどそんな時、扉が少々軋んだ音を立てて、小さく開いた。
モイだった。
片手は扉を押し開けた形だが、もう片手にはトレイ、その上には何やら皿が載っていた。まあ怪しむ事もないのだが。
「あ、モイ。どうしたんだよ」
「少し厨房に寄ったら、つい、な」
そう言いながら、彼は会議室の机の上に持って来た皿を置いた。
茶菓子―――林檎パイのようだ。林檎の甘酸っぱい香りがいっぱいに広がっている。
「つい、って…え?作ったのか?」
サルゴンが口にしたその疑問は、モイの笑顔によってそれとなく躱された。
彼は菓子をナイフで切り分け、会議室の一角の席に座った。
折角だから温かいうちに、とサルゴンは早速それに手を伸ばした。
見るからに焼きたてである。商店街のパン屋に売っているようなものと比べても遜色ない、
というか、
別に金は取られないのでこちらの方が得ではあるが。
いや、それよりもこれを作ったのはモイなんだろうか、料理人なんだろうか。
「あ、そうだ…サルゴン」
ちょうどパイを口にしたところで、イシスは彼に声を掛けてきた。
サルゴンは、先を話すようにイシスを目で促した。どうやら通じたらしく、彼は話した。
「今日のこの後なんだけどさ、ちょっと稽古つけてもらっていいかな」
「なんだ、イシスの割には珍しいな」
その言葉に対して、ボルスが軽く横槍を入れた。
イシスは少し不機嫌そうな顔を一瞬見せたが、サルゴンに続きを話した。
「あの戦いの後から、しばらく考えてたんだけどさ」
どことなく寂しげな顔をすると、また表情を戻し、
「やっぱり…争いの時には、皆に迷惑かけてばかりだし、少しで足手まといにならないようにしようと思って」
「迷惑だなんて、そんなことないよ」
トーワは首を横に振った。それに続けて、机に頬杖をつきながらボルスが言う。
「まあ、役に立ってるとは言い難いが」
やっぱりそうかぁ、とイシスは溜息を吐いた。
ボルスは良くも悪くも、殆ど嘘は言わない人間だ。物言いの辛辣さはどうしようもないが。
「あまり気を落とさなくてもいい。重要なのは、これからだからな」
モイはそう言ってから、イシスの肩にそっと手を置いた。
彼はなんとなく安心して頷き、席を立った。
その様子を見て、サルゴンも慌ててそれに倣う。
「なんだ、もう行く気か?」
サルゴンの問いに彼は微笑むと、軽く頷いた。
二人は既に、会議室の外へと向かっていた。
「…まあ、精進しようとする気持ちがあるだけ、まだいいのかもな」
茶を啜り、ボルスはモイにそう話し掛けた。
「ボルスには、ないわけか」
モイはそれに対して頷くと、彼に向かってそう語りかけた。
水の将魔はその問いかけに苦笑いした。
私、偽ギュスターヴのことは文中で「ギュスターヴ」としか表記いたしません。
どうも「偽」がつくと気が抜ける気がしてならないので…。
というか、それがつくだけで気が抜けるってのはやっぱり力量不足ってことですか。
書いた奴:それなりに清風
些細なネタ(りんごパイ):黒槻さん