ハン・ノヴァがヤーデからの兵糧供出の命を拒否し、兵を集めている。
かの都市はヤーデ軍の東大陸での活動拠点だが、ヤーデの統治下にあるわけではないのだ。
先代ヤーデ伯ケルヴィンはハン・ノヴァの自治を尊重していたが、その跡を継いだチャールズは違う。
ハン・ノヴァの元老院への圧力は日に日に強まり、それが今こうして元老院が怒りを爆発させそうになっているわけなのだが――。
「それを私に知らせるということは、何か提案があるのだな? イシス」
ギュスターヴの孫を名乗って蜂起したものの、名を挙げるのにちょうどいい戦がなく、
今のところはロードレスランド東部で自分の他にギュスターヴを名乗る勢力を叩いて取り込み、勢力を拡大させているものの、
そろそろ大きい賭けに打って出たい。
そこに舞い込んできたのが、部下がつかんできたこの噂だった。
「はい。差し出がましいようですが」
「構わん。言ってみろ」
偽ギュスターヴは、目の前に立った男――手入れの行き届いた長髪と小柄で細身の体のせいで遠目には女に見えなくもないが、に話の先を促す。
すると彼はきゅっ、と胸の前で拳を握ってから、こくり、とうなずいて口を開いた。
「ハン・ノヴァの募兵へ、名乗りを挙げてみてはいかがでしょうか」
「ほう」偽ギュスターヴが、わずかに目を見開く。「それは、どういう意図があるんだ?」
「えっ? あ、その……」
いつもは淡々とした反応を返すことが多い主が話に食いついた――それでも口調は淡々としているが、ことが予想外だったのか、
気に障ることを言ってしまったかと思ったのか、イシスはびくりと肩を震わせて身を引いた。
「戦場はよく選べ、と言っていただろう。なぜ、この戦なんだ?」
その様子を偽ギュスターヴは気にも留めず、言葉を続ける。イシスがおどおどとしているのは珍しいことではない。
イシスはさして怒った様子ではない偽ギュスターヴの言葉に胸をなで下ろしてから深呼吸を一つして、
先ほど身を引いてしまった分を一歩前に出て、歌い上げるように言葉を紡ぎ出した。
「鋼の十三世が築いた町、その危機を嫡孫が救いに来る――絵になるでしょう?」
「芸術性の話はいらんから、本題に入ってくれ」
先ほどとは変わって自信にあふれた様子だが、その発言の内容は偽ギュスターヴにとっては実体のないもののように感じられた。
そういえばイシスはそこらの女子並にロマンチックな物語に傾倒している節があった、と偽ギュスターヴは思い起こし、冷たい声で話の続きを促す。
「し、失礼いたしました……しかし、本当にこれは大切で」とイシスは慌てて頭を下げたが、話題を変えずに言葉を続けた。
「ハンの町は、私達を歓迎するはずです。
 それはこの募兵のことでの単純な戦力増でもありますが、もう一つ……」
「私がギュスターヴ13世の孫を名乗っていること、か?」
「ええ。長らく確たる支配者がいなかった町に、主の血族の者が帰って来る。
 町を治める元老院がどう感じるかは分かりませんが、少なくとも市民にとっては、心強く感じられることでしょう」
「だが、自称ギュスターヴ13世の孫は掃いて捨てるほどいるだろう。
 ギュスターヴの名だけで歓迎されるほど、ハンの住人は愚かではあるまい」
「ええ。公の孫を騙る者は数多くいますが、その大半が取るに足らない賊でした。
 ですが、ギュスターヴ様には本当に公の孫なのかもしれない、と人々に思わせるような品位がありますから――」
偽ギュスターヴが自分の意図を酌んだことに満足してイシスは大きくうなずくが、そのまま続く主の言葉は冷やかだ。
しかしイシスはそれを気にも留めず、むしろしたり顔で相槌を打った。
 ギュスターヴ13世の血を引くと名乗る者は、彼の死後――つまり今から40年ほど前からだ、散発的に見受けられる。
その名乗り主の中には盗賊や野盗もいるせいか、ギュスターヴの孫を名乗る者にはろくなものがいないともささやかれているのが現状だ。
この偽ギュスターヴがハンの廃墟を拠点として近隣の盗賊団を叩き残党を吸収し、
その戦利品をしれっと横取りするという活動を行う中でも、他の自称ギュスターヴを倒したことが何度かある。
「ギュスターヴ陛下の孫万歳というかギュスターヴ陛下万歳、
 この町をお返しします、ハンを治めてください――となったらいいなあ、なんて」
自分達の活動自体は他の偽ギュスターヴとさして変わらないかもしれないが、今ハンの廃墟で部下におだてられても冷静さを失わない偽ギュスターヴには、
不思議と人を引きつけ従わせるカリスマ性がある。
それは祖父――ということにしている鋼の十三世と同じなのだろう、とイシスは思っていた。
そして、今話していることも、そこまでうまく事が進むとは思わないと思うと同時に、このギュスターヴなら本当にハンを手中に収めることもできるのではないか、
という予感も抱いている――が、あまり夢見がちに聞こえることを言うとまた偽ギュスターヴに呆れられるので、慌てて一言付け加える。
イシスの言葉に、偽ギュスターヴは「なるほど」と頷き、少し思案するそぶりを見せた。
 そもそも今回のハンの募兵は抗議の意を見せるための動きであり、
実際の戦にならない可能性もある――アニマを集めるにあたっては戦が起きた方が効率がいいので、戦になった方が嬉しいが。
だが、戦にならずとも、ギュスターヴの名を出すことと自らの力によってハンを掌握できる可能性もある。
つまりエッグの目的に関しては、この話に乗ることのデメリットは少ない。
「分かった、ハン・ノヴァへ行こう。我が祖父が築いた町の苦境を見逃すことはできん」
「ギュスターヴ様の仰せのままに」
偽ギュスターヴはイシスに向き直り、威厳と覇気のこもった堂々とした声を発する。
するとイシスは恭しく頭を下げて了解の意を示すと、他のエーデルリッターへの伝達、行軍のための準備、
もう少しこの一団を高貴らしく見せるための方策やその他諸々の懸念事項が一気に頭を駆け巡りだす――が。
「……とか言えば、それらしく聞こえるな?」
「えっ、あっ、はい。そんな感じで……いいと思います」
まず真っ先になんとかすべきは、この主からボロが出ないようにすることかもしれない。
イシスは慌てて言葉を返しつつ、これから来るだろう激動に少し胃を痛めた。


エッグはどれくらい世界情勢を把握していたんでしょうね。