小高い丘の頂に、一人の男が立っていた。
年の頃は三十ほどか、精悍な顔つきと涼やかな青い瞳が印象的な好漢であったそうだ。
男の双眸には、はるか遠くの町並が映っていた。
その町は黄昏時の陽光を受けると金色に輝いて見えること、当時から交易の要所として非常に栄えていたことから、
『黄金都市』と呼ばれていたと歴史書は伝えている。
 男は、丘の頂にあった小さな岩に片足を乗せ、後にとある帝国の首都となる黄金の都を指差し、こう言った。
『必ずやあの都を、この私アドルファス=ブレナン一世のものにしてみせようぞ』
―――その瞬間から二五十年が過ぎ、現在に至る。


 少しずつ影が差し始めた帝国の治世だが、それでも、現在の首都『黄金都市』ティンダルは非常に活気に溢れていた。
中央通りは人の往来が激しく、裏には闇市が展開され、職人通りは常に喧騒に包まれている。
そして公園では子供達が元気に追いかけっこをしている横で奥方が世間話に花を咲かせる。
まだまだ帝国の首都に住む民衆は、どんよりとした「衰退」の雰囲気を漂わせてはいないようだった。
 その帝都は、ここ3,4年ほど前からか、夜の町を賑わす怪盗の話題で持ち切りである。
帝国騎士団をはじめとした軍人や官僚、富裕層は、「自分達の財産を侵される前に!」と賊の捕縛に執念を燃やしている。
一方、民衆は偉方のピリピリした雰囲気など何処吹く風と言わんばかりに次の賊の標的で賭けをしだすという能天気さだ。
 その話題になっている盗賊の中でも、最近頭角を現してきた者がいた。
その名は、ファンキーファング―――ふざけた名前をしているが、その手口は鮮やかなことこの上ないと言われている。
その姿を見たという人間は、まだいない。
しかし何人かの勝手な証言によれば、賊は黄昏時に忽然と現れて、目的の物を入手したら、足音も立てずに去って行くのだという。

 さて、時は帝国歴二五〇年、風薫る夏の初めの昼下がり。
先に述べた理由のせいで、最近は宮殿や国立美術館の警備の人数が大幅に増員され、ずいぶんと慌ただしい。
そんな厳戒態勢の国立美術館は本日は休館日として、今は新しい展示品が搬送されていた。
絵画であったり彫刻であったり金属細工であったりと、実に様々な美術品が丁重に館内に運び込まれてくる。
その様子を、数人の近衛騎士を伴って見回している少年の姿があった。
背丈は、一般の成人男子のそれには遠く及ばない。しかし、涼やかな碧眼とこの地方には珍しい銀色の髪が、彼の出自を物語っていた。
その少年こそが「ブレナン帝国」元首、現『美神に祝福されし』少年皇帝、テオフィル=ブレナンその人である。
彼の父、先帝ウィニフレッド二世の急逝によって、一昨年にわずか十一歳にして帝位を継承した少年。
享楽的な性格であることに加えてまだ遊びたい年頃である皇帝陛下は、国政への感心が非常に薄弱であった。
「やはり、美術館はいいものだ。ここにいる間は、嫌な事を忘れられる」
 今日運び込まれてきた品のうちの一つを手に取りながら、感慨深げに少年は呟いた。
自由奔放な日々を過ごす彼に嫌なことなどあるのか、と吐き捨てたい人間が彼の周りには多数いるが、
皇帝陛下は、そんなことは全く気にかけていないことだろう。
「双子の黄金環…噂には聞いていたが、まさかこれほど精巧なものだとは」
少年皇帝は、天井から吊り下げられた照明に、二つの指輪をかざした。
どちらも非常に丁寧に形を整えられた大ぶりの金剛石と黄金の台座が目を惹く、寸分違わぬという形容がぴったりな双子指輪である。
なんでも古代伝承の双子の女神にあやかって「バイブ・カファの双子の黄金環」と名付けられたらしい。
 少年皇帝が黄金の双子指輪に魅入られていると、背後から一人の女性が彼に声を掛けてきた。
「いかがです、陛下?今回の仕入れ品は」
「あぁ、メイフィールドの娘さんか。いつも素晴らしい目利きだな」
「もったいないお言葉でが、もっと言って下さると、もっと張り切っていい品を選ばせていただきますよ」
娘さんと呼ばれはしたが、年は例の皇帝よりは上くらいだろうか、ゆるく編んだ黒の長髪と白い服の対比が見事なものである。
帝都屈指の大商人の娘の名に恥じぬ確かな経営力と大胆さは帝都を根城とするベテラン商人たちの間でも噂になっているらしく、
ウチの息子の嫁に来てくれというプロポーズが後を絶たないという。
「ははは、お上手だな―――ん、何だ、あれは?」
「え?……あぁ、あちらですか」 商人の娘と談笑していた少年皇帝は、ちらりと右手に視線を移した時に、ごく軽い様子で娘に問いかける。
その声に、娘もつられて振り向いた。
数人の兵士が美術館の奥の方から二つの銀色の鎧を担いで来て、向かい合わせに入り口に配置する様が少年皇帝の目に留まったようだった。
「陛下、こちらは我が帝国の騎士様の鎧を模したものにございます」
少年皇帝が上げた疑問の声に、大商人の娘は得意げに答えた。すると少年皇帝は、再び首をひねる。
「鎧か?騎士の鎧など、何故わざわざ美術館に展示するのだ?大して珍しいものでもなかろう」
兵士達が担いできたのは、この国の騎士が40年ほど前から着用を義務づけられた鎧であった。
ブレナン帝国は鉱山資源が豊富であり、またそれを鍛える職人も非常に多い。
そのような環境で作り出された騎士鎧は、他国の追従を許さない勢いで改良を重ねられた結果、頑丈さと美しさを兼ね備えるものとなった。
肩当に施された竜の模様、胸当に彫りこまれたブレナン帝国の紋章―――どれをとっても美しい、とは後の美術評論家の弁である。
「陛下、平民には騎士鎧を間近で見る機会など無いのです。是非、国民にも我が国の技術の素晴らしさを誇示しませんと」
「ふむ…そういうものなのか。そうかもしれんな」
大商人の娘は、少年皇帝を諭すようにゆっくりと言い聞かせた。すると皇帝はしばらく考え込んだ様子だが、納得したように首を縦に振った。
「それと―――」それを見計らって、大商人の娘はささやいた。
「入口の近くに騎士鎧が立っていれば、最近噂の泥棒、ファンキーファングとやらとて、入り難いに違いありませんわ。ね?」
娘はいたずらっぽく笑うと、騎士鎧の方に目をやって、軽くウインクした。
騎士鎧はガチャリと音を立てて、ぐっとピースサインを作った―――のは、誰の目にも留まらなかったようだ。
「なるほどな…はは、相変わらずその発想には驚くよ」
少年皇帝は、無邪気に笑い声を上げていた。

 さて、数時間経つと美術品の搬送は完了したようだ。
作業に駆り出された兵士達は、宝くじの当選番号の予想など、とりとめのない事を喋りながら、それぞれの家路についた。
美術館は、いつも黄昏時にはその扉を閉じる。
時価数億もしかねないという美術品が展示してあるので、
あまり暗い時間まで開放していると盗人が入るのではないかと心配されているせいらしい。
「あーあ…俺も家に帰りてーなぁ」
夕方の見張りを任された兵士のうちの一人は、帰っていく同僚の背を見送りながら、ため息をついた。
「ガマンしろよ。ちょっと展示品を眺めながらボーッとしてれば金が入るんだ。いい仕事じゃないか」
「いや、まぁ、そうなんだがさ」
その愚痴を聞き逃さず、もう一人の兵士が愚痴を言った方をなだめすかす。
愚痴をこぼした方の兵士は、やれやれと肩を持ち上げた。
だが突然、ハッと何かを思い出したかのようにガチャンと篭手を打って、もう一人の兵士に向き直った。
「そういえばクインシーちゃんよ、お前さ、幽霊とか信じる方?」
「は?何をいきなり。…この科学万能の時代に幽霊なんて、いるわけないだろ。ないないありえない」
クインシーと呼ばれた兵士は一瞬目を丸くしたが、すぐに力強く首を横に振った。
顔の大部分を覆う兜のせいで、表情は他人には分かりにくくなっているが、その声色は明らかに震え気味である。
そこに畳み掛けるように、最初に愚痴をこぼしていた兵士がささやく様に語り出す。
「いや、マークのヤツがが言ってたんだよ。真夜中に階段の段数を数えたら、階段の段数がいつもと違ってたとか」
「いやいや、それはただの数え間違いだろ」
クインシーは、震える声色を最大限抑えて即座に切り返した。それでも、もう一人は言葉を続ける。
「聖マグダレンの肖像が、血の涙を流してたとか」
「見間違いだろ」
「そこのレジナルド帝の石膏像が動き出すとか」
「いやいや、あのなエディ、マークが言ったことを鵜呑みにしちゃダメだ。それだって絶ッ対幻覚―――」
クインシーが必死に反論しかけたその時、入口の方からガシャン、と大きな物音が聞こえた。
「げ、なんだなんだ?」「し、侵入者か…?お願いだから、人であってくれよ」
二人が入口の方を振り返ると、そこには今日の昼頃に新たに展示品となった二つの鎧が安置してあるはず―――だったのだが。
 ガシャ、ガシャ。一体の鎧が微かな金属音を立てながらゆっくりと動き、二人の兵士が立っている方へ歩き出しているではないか。
少々間接の曲げ方などがぎこちなく、また非常にゆっくりとした動き方ではあるが、それがかえって彼らの恐怖心を刺激したのだろうか。
クインシーと、愚痴をこぼしていた兵士―――エディの二人は、互いの体温など感じられない金属鎧を寄せ合って、恐怖に震えあった。
「ほほほほほら見たかクインシー、本当に幽霊だぞ!」
「いやいや、違うだろ?違うって言ってくれよ〜ッ」
「ヤーダナァ、俺ハ幽霊ジャナイヨー」
クインシーの希望に応えたのだろうか、白銀の騎士鎧は妙に甲高い声を出して、篭手をガシャガシャと振り、確かに幽霊説を否定した。
「ほらエディ、本人も違うって言ってるじゃないか!こいつは幽霊じゃないよ」
「そっか、それなら安心だ……って、じゃあなんだよコレ!悪魔だったらもっとヤだぞ」
クインシーが安堵のため息をつき笑顔でエディの方を振り返る。
すると相方も笑顔で返すが、すぐさま我に返って、単純な相方の胸当部に裏拳気味につっこみを入れた。
「ピンポンパーン。ソウサ、俺ハ近頃ウワサノ『りびんぐあーまー』ッテヤツサ」
「むはぁ」「うひょえぇ」鎧の言葉に、二人の兵士は悲鳴とも諦めともつかぬ奇声を発する。
リビングアーマー、『生きている鎧』。宮殿や砦、はたまた戦場などで語り継がれる怪談に登場する怪物である。
騎士鎧を着たまま死んだ者の魂が、空の鎧に宿って肉体を探し求め、―――人々を襲ったり、人々を襲ったりする。ある種定番の怪談だ。
「兄チャン、イイ身体シテルジャナイカ。ソノ身体、ヨコセ!ヨコセヨコセ」
白銀の鎧は、奇妙な声を上げながら、じりじりとではあるが確実に二人の兵士に近寄っていた。
兵士達は次第に後ずさりをし始めて―――。
「お、俺は認めないぞぉー!」
「ひいぃ、来世は真面目に働きますー!!」
ガッチャガッチャと金属音を上げる兵装のまま、
兵士達は意味が分からない言葉を口走りつつ我先にと鎧の前を通り抜けて入口へ駆け出して―――勤務先へは帰って来なかった。
本部に報告せずにまっすぐ家へ帰って、翌日は二人して教会でお祓いを受けたらしい。

普通の鎧が一つと獲物に逃げられた鎧が一体、無人の国立美術館の入口に佇んでいるかのように見えた。


(続く)


5月下旬、部誌に寄せたオリジナル小説の前半部分です。
お題は「黄昏」「足音」「独占欲」ということで、「黄昏時に足音も立てずに現れる、独占欲全開の泥棒」の話です。
当初はプロローグ部分がメインになるはずだったのですが、サクッと書きたいがためにこんなノリになってしまいました。

ホームページに掲載するにあたって、大幅に加筆・修正しました。

兵士クインシーは「クーちゃん」だったし、マークも「マー君」でした。なんだこのノリは!

残念ながら、前半部分には主役?の「ファンキーファング」はほとんど姿を現していません。
後半ではアクションシーンも取り入れて(場面が増える!)存分に動き回る予定です。

やっぱり、オリジナルは難しいなあ。世界観からつくらないといけないんだもんなぁ。