ガシャリガシャリ、ドサドサドサッ…。
「(はー…見張りがアホで助かったぜ)」
兵士達が逃げ出してから、数刻も経たない頃。
怨念によって動き出したかのように見えた白銀の鎧は、無残にも打ち捨てられていた。
しかしその代わりに、見張り以外の誰かがそこにいたのである。
「しっかしまぁ、騎士の鎧って重いんだな。毎日こんなの着てたら、肩が凝っちまうよ」
 帝都のように、黄昏時の陽を浴びれば金色に輝くだろう淡い金髪を後ろで束ねた小柄な青年だった。
黒塗の何かの牙の首飾りをつけていること以外は特に目立つところは無い、「普通な」男である。
彼は脱ぎ捨てた鎧を一瞥し、ため息混じりに呟くと、黒服のポケットから一枚の紙切れを取り出した。
 美術館の関係者から手に入れた、仔細に描かれた内部構造図である。
「(今日運び込まれてきた展示予定の品は、倉庫に保管してるって話だ。まずは倉庫に入らないとな)」
軽く周辺を見回し、位置関係を閲覧者向けの美術館案内図と構造図に照らし合わせる。
どうもこの美術館は、盗賊除けのトラップをところどころに配置しているらしい。
警報機はもちろんのこと、ダミーの部屋、どういうわけか落とし穴まで。
いや、盗賊除けと言うよりは、むしろブービートラップのようなものなのかもしれない。
「(なるほどね。あのチビ皇帝、こんなところに金使ってやがるのか)」
男は、心の中で悪態をついた。昼の間は真面目に働いて収めている税金が、夜の仕事に支障をきたすとは思いもしなかったのである。
 再び図面に目を戻して、モノの在処を探し出す。すると、図面の中に「隠し扉、至保管庫」とストレートな文字が踊っているのを見つけた。
「(ははん、北西の部屋ね。外観と部屋の大きさが一致しないわけだ)」
ちらり、とその方角に目をやる。あいにく、その方向には白壁が立っており、奥の部屋の様子を把握することは不可能であったが。
 牙の首飾りの男は、足音を最小限に抑えるようにと忍び足で動き出した。
あの逃げ出した兵士以外にも見張りは必ずいるだろうし、館内はしっかりと明かりがついている。
油断ならない状況である。営業時間外に一般人が館内に残っていれば、別に何もしていなくても即刻つまみ出されるだろう。
 息を殺して、手前の部屋を覗き込む。彫像が展示されているその部屋には人の気配はなかった。
誰にも見つからないように、と、首飾りを握り締めながら男は呟き、目を閉じてひとつ深呼吸をした。
それが、おそらく彼なりの集中の仕方なのだろう。
少しするとぱっと目を見開き、壁と密着しながら少しずつ移動を再開した。

「(ここが、隠し部屋と繋がってる展示会場だな)」
男は、図面と目に映る風景―――展示してある品、部屋の形をつぶさに比較した。
「(聖マグダレンとやらの肖像…なるほど、この部屋に間違いない)」
ちらり、と横目で白壁に飾られた、穏やかな笑みをたたえた聖人の絵に目をやる。
大商人として巨額の富を築いた後に、全財産をなげうって貧しいものの救済にあたった―――そんな伝説がある、聖人だっただろうか。
あいにく彼は、教会でのそういった類の聖人の話をまともに聞いた事はなかったので、その辺りの記憶は定かではないのだが。
「(税金の無駄遣いで建てた美術館に、貧乏人救済者の肖像画ね。いい趣味してるわな)」
男はやれやれ、と、大きく肩をすくめ、皮肉なもんだ、と吐き捨てる。
 例の少年皇帝が何かに目覚めて、絵に描かれた聖人のような道を―――貧民の救済に目覚める時が、来るのだろうか。
いや、目覚められてもそれはそれで困るのかもしれない。
価値のある美術品を売り払ったりなどされようものなら、この盗賊の仕事は減るのだから。
 気を取り直して、また牙の首飾りの男は壁沿いに忍び足を続けた。そしてそのまま、部屋の最も奥に鎮座している女神像と向き合った。
ちらり、と左手に軽く握った図面に目を走らせる。
 スコルグ女神像。先帝の晩年に、属州の地から取り寄せた石膏像である。
鎧兜に身を包んだ、凛とした戦女神であると伝えられるその神の姿を、その像は忠実に表している、とは後世の美術評論家の弁―――だが。
今のところ男にとっては、その像が自分を監視しているかのような目線で気味が悪いこと以外は石膏がどうであろうと関係の無いことだった。
確かにその像は美しいし、時価数億の価値が出かねない物だということも、男は理解している。
だが、彼にとってはその像は「射程外」なのだ。石膏像を盗もうなどすれば、その重量で押しつぶされかねないのである。
彼はその女神像が収まっている台座の後ろに回りこみ、白壁に慎重に左手を滑らせる。
 今どき珍しい、木を素材とした壁だ。
築何十年という話だったか―――そろそろ腐って倒壊するんじゃないか、と市民たちが危惧していたと思われる。
ところがこれが案外、地震や洪水も耐えてきたのである。
それでも所々が危なくなっているようで改築したらどうだ、と皇帝が言っているようだが、
この建物自体も芸術作品としての価値を持っているようなのだ。
 しかし、これもまた、「盗めるスケールのものではないから」という理由によって、盗賊は話半分も聞いていないため、よく覚えていない。
「(この壁に隠し通路。軽く押せばくるりと回る…ね。どこの盗賊屋敷だよ、ったく)」
男はまた図面をちらりと眺めて、子供向けアトラクションさながらの仕掛けが搭載された美術館の天井を眺め、溜息をつく。
すると手袋をつけた手のひらに、木壁とは違う感触があった。いや、感触自体がないと言った方が適切だろうか。
確かに、男が手のひらを滑られていた壁には、数ミリ程度の隙間があった。
 小さく快哉の声を上げると、男は壁の隙間の近くに手をかけ、一気に押してみた。
すると壁はキイィィ……と小さく音を立てながらくるりと回転したのである。
 回転した壁の間から通路に入り、壁の向きを元に戻す。
昔からこういった探険ごっこ―――今やっているのは家探しのようなものだが、が好きだった男はゆっくりと奥の倉庫へと向かった。

 気を抜くと時々ミシリ、と鳴る通路を抜けると、図面通り「保管庫」があった。
そこには今日の昼頃に運び込まれたらしい彫像や絵画らしきものが、紫色の大きい布を掛けられて保護され、いくつも壁に立てかけられている。
部屋自体はさほど大きくないので、盗賊には幾分か窮屈に感じられた。
 絵画や彫刻を分け入り、男は部屋の一番奥に置かれた机へ、慎重に足音を小さくしながら近づいていく。
机の上には、小さな箱が置かれている―――小さいというのは周りに置いてある美術品より、ということだが。
男は慎重に金の額縁に収められた絵画を押し退けると、机の前に立ち、小箱をひょい、と持ち上げた。
 その小箱は、あまり大柄ではない男の両の手のひらにすっぽりと収まるくらいの大きさだった。
少し弓なりに曲線を描く蓋は、紫色の布に金糸で刺繍をし、色とりどりの宝石をちりばめられた豪奢なものだ。
牙の首飾りの男は、その箱にしばし魅入られてから、鍵穴に針金を突き刺した。神経を集中させ、男は針金を細やかに動かす。
ガチャリ、ガチャリと少々耳障りな音がしたかと思うと、突然、ガリッ、と金属が削れるような音が彼の耳を襲った。
「…あ、やばっ」と男は慌てて針金を抜き、小箱の鍵穴を覗き込んだ。
目を瞬かせから、しばらく小箱を中止した後、男は溜息混じりに苦笑いを漏らしながら箱の蓋を開け―――閉じた。
しかし、どうにも蓋がうまく落ち着かなくなっている。先程の針金で鍵をこじ開けた結果、箱が壊れてしまったようだ。
 かぱかぱ、と男は箱の開閉を続け、箱の修理を試みようとした。箱もいい状態でついていれば、驚くほど高額の売値がつくはずだったのだ。
「……ま、いいか。箱には用は無い」
そのうちに箱の修理を諦めて男は改めて蓋を開け放ち、朱色の台座にはまった二つの指輪を抜き取った。
非常に丁寧に形を整えられた大ぶりの金剛石が目を惹く、寸分違わぬという形容がぴったりな双子指輪である。
宝石箱の蓋の内側に、その指輪の名―――『バイブ・カファの双子の黄金環』が記されている。
 男は小箱に刻まれた指輪の名と、そこから抜き取った二つの指輪を、腰のポーチに仕舞い込んだ。
そして双子指輪の代わりに、男は一枚のカードを台座に挿したのである。

『領 収 書
 前略 テオフィル=ブレナン陛下
 皐月27日、貴殿が所有されたし「バイブ・カファの双子の黄金環」を頂戴した。
 あなたのファンキーファング』

「今日もよく働いたぜ」
ごぉん、ごぉん、と時刻を知らせる鐘が鳴る。
―――時刻は午後六時。午前十一時より、騎士鎧と共に美術館に忍び込んだ男ファンキーファング、今日の労働時間は七時間。
美術館の方を一瞬振り返ると、全速力で中央公園に駆け出した。今日は、彼女とデートだ。待ち合わせの時刻は、とうに過ぎていた。


 黄昏時の陽光を受け、町は今日も黄金色に輝いている。
夕方の中央公園には、走り回る子供達の姿は無い。今頃、家族みんなでおいしい夕飯を取っているだろう。
それでも、花壇の近くのベンチには、一人の娘が座っていた。
ゆるく編んだ黒髪を指に巻きつけたり、手鏡を覗き込んで化粧の乗り具合を確かめたり。
そして、しばしば美術館の方に目を向けては、小さくため息をつく。
「遅いな、ロディったら」自然と漏れた呟きだったようだ。
ロディ、というのはおそらく待ち人の名前なのだろう。年頃の娘が待つ人間というと、もしかすると彼氏なのかもしれないが―――。
 時々公園の前を通りがかる人物がいると、彼女はつい、それを凝視する―――が、それはやはり自分の待ち人ではない。
そうしたことを何度もやっているうちに、外はだんだんと暗くなってくる。
遠くの空は真っ赤に燃えているのに、真上の空はどんよりとした青鈍色になっていた。
娘は中央公園のそのまた中央に位置する日時計に目をやり、また、ため息をついた。
「……遅い、遅いったら遅い!いつまで待たせるのかしら」
そのうちじっとしていられなくなって、近くの噴水に移動して腰を下ろして―――お気に入りのスカートにホコリがつく、と慌てて立ち上がった。
ぱしぱし、とスカートをはたいていると、娘は不意に肩をちょん、と叩かれた。
「よっ」
娘が慌ててと後ろを振り返ると、そこには片手を軽く上げて、一人の男が立っていた。
「待ったか?」
淡い色の金髪を後ろで束ねた、黒塗りの何かの牙の首飾りをつけた―――それ以外は、あまり特徴のない青年である。
娘は彼の顔を見ると、一瞬、その愛嬌ある顔を輝かせたが、わざとらしくふくれっ面をして、口を尖らせた。
「すごく待ったわよ。また仕事?」
思ったよりも不機嫌そうな彼女の顔に、男はバツが悪そうに頬をかいて、言葉を濁らせた。
「あー、まぁ……そんな感じ、かな?うん、副業がちょっとな」
「もう。私と仕事、どっちが大事なのよ」
「そう言うなよ……つーかお前こそ、俺よりは仕事の方が大事なんだろ」
からかうような娘の口調に、牙の首飾りの男は、肩をすくめてから、してやったり顔で娘に問いかける。
「あら。それはもちろん、そうよ」
すると、娘は胸を張ってそう答えた。
「皇帝陛下ご贔屓の商会だもの。私の代で潰すわけにはいかないじゃない」
だから、それなりにあなたも大切なのよ―――と、娘は彼に聞こえないくらいの小声で呟く。
「ちえっ、お高くとまりやがって。―――でも、今日はそんなお高いお前に、とっておきのプレゼントがあるんだ」
自分より仕事、ときれいに言い放った彼女に、なんとなく不満を見せたが、男はパッと顔を輝かせ、腰のポーチに手を突っ込んだ。
「ちょいと目を閉じて、左手出してみ」
「あら、何かしら。これでカエルとか乗っけたら、タダじゃ済まないわよ」
彼氏のごくごく軽い語調の言葉に冗談交じりに笑うと、娘はゆっくりと瞳を閉じて左手を突き出した。
「俺を何だと思ってるんだよ。俺は天下のファンキーファ…あいやいやいや、郵便配達員、ロデリック=スミス様だぜ」
天下の郵便配達員は、軽口を叩きながら黒髪の娘の手を取る。
 白い―――しかし血が通った、健康的な色の肌だ。
男は彼女の指をしばらく見つめたが、彼女の手を取った方とは反対側の手で、ポーチから金色の環をつかみ出した。
そして取り出したその環を、そっと、しかし滑り込ませるように、彼女の左手の薬指にはめてやった。
「…もういいぜ。どうだ?」
天下の郵便配達員の問いかけが終わるや否や、黒髪の娘はパッと目を開ける。
すると彼女の瞳―――髪の色と同じ、きれいな漆黒だ―――には、金の台座に大振りのダイヤモンドが載った、豪華な指輪が映った。
黒髪の娘も、その指輪には見覚えがあった。
いや、見覚えがあったどころではない。今日の昼に、商人として美術館に運び込んだ指輪だったのだ。
「これ、『バイブ・カファの双子の黄金環』じゃないの!…まぁ、出処は聞かないけど」
うまくやったのね、と彼女は男の耳元でささやく。その言葉に、男は親指をぐっと立てて応じた。
 そう、そもそも今回の怪盗ファンキーファングの成功には、この商人の手引きが重要なカギとなっていたのだ。
怪盗は彼女が仕入れた騎士鎧で美術館内に忍び込み、彼女が仕入れた品物を盗み出す。
それから暫く経ってから、その怪盗が盗み出した品を再び国に売りつける。そうやって成長した商会が、ゆくゆくは彼女が継ぐものなのだ。
―――ということを知っているのは、ほんの一部の人間なのだが。
  「でも貴方も、ホントに他人のものを盗るのが好きよね」
その言い方はまるで母親が息子に言うようなものだったが、それでも、彼のことを思った言葉だった。
たとえそれが呆れ顔で、彼から顔を逸らしていても、だ。
 牙の首飾りの郵便配達員は、へへっ、と笑うと、あえて薄暗い夕焼空を見上げた。
あいにく、今日は曇りだ。しかし空から差しこむ橙色の光は黄金都市を、彼らの顔を、そして彼女の指にはめられた指輪を輝かせていた。
「盗るとか言うなよ。そもそも世の中のモンは、みんな俺のモンさ。だから」
照れくさそうに笑ってから、男は黒髪の娘に向き直った。
「お前も、俺のものさ」
「……はい?」彼女が訝しげに声を上げながら顔を上げると、男はニヤッと笑って左手を挙げた。
もちろんその薬指にも、同じ指輪が収まっていた。そして次の瞬間には―――。
「結婚してくださいッ!」
もう一度彼女の手を取り、赤面した顔を彼女から逸らすことなく、叫んでから、勢いよく頭を下げた。
娘は、一瞬だけ呆気にとられたようだったが、少し首をひねってから咳払いをして、「えーとね」と呟く。
男は真っ赤な顔を上げ、彼女の次の言葉を待った。
「……うん、もっと精進したらね」
しかしそれは見事に、打ち返された。

 その後、城の見張り塔にいた兵士が、
黄昏時も終わる頃に壮大な土煙と足音を立てて「俺って甘酸っぺぇー!」とか叫びながら走って行く青年を目撃したという。


(終)


5月下旬、部誌に寄せたオリジナル小説の前半部分です。
お題は「黄昏」「足音」「独占欲」ということで、「黄昏時に足音も立てずに現れる、独占欲全開の泥棒」の話です。

……アクションシーンが書けませんでしたが、今回はセリフと固有名詞を大いに増やしたリライト版です。
どう見てもグダグダな話運びですが、初めて完成させて大々的に?人目に触れたオリジナル小説ということもあり、
キャラ造形には見えないところに気を遣ったつもり……でした。自分だけそんなつもりになってみます。はい。
当初、彼女はちゃんとフルネームが入る予定でした。彼女はエミーリア=メイフィールドです。愛称はエミィです。
ていうか当初は「ロディ&エミィ」というタッグで彼女と彼氏が二人で盗みに入る予定でした。
しかしそれって、某同人ゲームに似すぎ……!という気もして、紆余曲折あって、こんな感じです。

最後までお読みいただいてありがとうございました。