聖闘士らしい仕事へ(2)



 少年はフォルティスの解説のところどころを、手にしていた鉄筆で木の板――中に蜜蝋を流し込んだ木枠と言った方が正しいが、に刻み付ける。
時々間違えては表面の蝋を削り取ったり、強い筆圧で板が削れるような硬質な音が聞こえる。
手持無沙汰になったフォルティスが辺りを見回すと、遠目に銀色の鎧――聖衣を着た人影が見えた。自分と同じ、聖闘士だ。
左肩に刺が付いたシルエットからして、ペルセウス座だろうか。奥には、ペルセウス座と歩調をあわせている聖闘士があと一人、二人ほど見える。
「ああ、聖衣……そうだな、聖衣のことも話そうか」
「はい、お願いします!」
何の気なくフォルティスが放った言葉に、少年は目と声を輝かせて力強く頷いた。
やはり、聖闘士である証と言える聖衣へ対する憧れは強いらしい。気合の入った返事に、フォルティスもつられて力強く頷いた。
「それじゃあ、まず聖衣とは?」
「星座を模した鎧で、八十八とも、百を超すとも、無数にあるとも言われるその中から、
 聖闘士はその力や守護星によって、どれか一つを身にまとうことが許されているものです」
少年は、今度の問いにはすぐに口を開いた。自分の考えをまとめるよりも、知っていることを述べるのはいくぶんか簡単である。
「そうだな。じゃあ、聖衣にはいくつか種類があるのは知ってるよな?」
「主に黄金聖衣、白銀聖衣、青銅聖衣、ですよね。
 身にまとうことを許された聖衣の種類によって、聖闘士も青銅聖闘士、それより上級の白銀聖闘士、最強の黄金聖闘士……と呼び分けられているとか」
「なんだ、だいたい知ってるみたいだな。うーんと、あとは……そうだ」
少年がすらすらとしゃべる様子に、フォルティスは自分の出る幕はなさそうだと言いたげに苦笑いを浮かべたが、すぐにぽすり、と手を打った。
「普段教えてもらっている先生には聞きづらいけれど聞きておきたいことがあれば、答えるけれど……どうだ?」
「え? ええと……」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、フォルティスは少年の瞳を覗き込む。
普段この少年を教えている教師にはできないことをさせることが、この少年のためになる――と判断されているのだろう、と判断したのだ。
父親のような目線をこちらに投げかけていた青年――普段この少年を教えている教師だ、がフォルティスの直球な発言を聞いて、ずるりと腰かけていた階段から半分ほど滑り落ちたようだが、
フォルティスは気に留めないし、少年の視界には入っていない。
少年は予想外の角度からの質問に少したじろいだが、「あ、そうだ」と顔を上げる。
「白銀聖闘士の方が、青銅聖闘士よりも偉いんでしょうか」
「あぁー……それか……」
「え? や、やっぱり聞いちゃいけなかったですか? ごめんなさい!」
声を潜めて話し出した少年の言葉に、フォルティスが深いため息をついた様子を見ると、身をすくめて半歩退き、わけもわからず頭を下げた。
「あ、いや、そうじゃないんだ。悪かったな」
ずいぶんと取り乱した様子の少年の肩を二、三度、優しく叩き、もう一度石畳に座らせる。
「どうして、気になったんだ? よかったら教えてくれないか」
咎める風でなく、できるだけ柔らかい声色になるように努めて、フォルティスは質問を返した。
少年はこくり、と頷くと、ぽつりぽつりと話し出した。
「僕の守護星は、南の冠なんだそうです。青銅聖衣の」
「南の冠っていうと、射手の冠の方だな。それで?」
「そうしたら、同じ時期にここに来たヤツが、自分の守護星が白銀のハエだって威張るんですよ」
「なるほど」思わず苦笑いがこぼれた。「自分の力で何となるわけでもない守護星のことで上下が決まるのは不服だってことか」
「……そうなんです」少年は改めて言われてみて気恥ずかしくなったのか、紅潮した顔をうつむけた。「くだらない悩みですか?」
「うーん」
守護星、いや正確に言うと守護星と対応した星座の聖衣の階級というのは実に厄介だ、とフォルティスは思う。
いくら聖闘士自身の実力が高くとも聖衣の名によって実力を判断されてしまうことは、ままあると聞くし、
逆に、聖衣に振り回され青銅に後れを取り、さんざんバカにされた新人の白銀聖闘士がいたとも聞いたことがある。
そして、青銅の守護星座の宣告を受けた候補生が、後から来た弟弟子が自分よりも先に白銀聖衣を手に入れたことに衝撃を受け、失踪して四年経つということも。
「(どこに行っちまったんだろう、あいつ)」
候補生による聖域からの脱走は、処分をしようとするときりがないという理由から放置されている。
だからこそ、その兄弟子が追手によって殺されたとも、どこかに落ち延びて暮らしているとも、聞くことない。
突然身寄りを無くし新しい環境に放り込まれ、右も左も分からない自分を励まし、ともに聖闘士を目指そうと言ってくれたあの男は、どうしているのか。
「フォルティスさん……鷲座のフォルティスさん?」
「え? ……あ、ああ」
不意に名前と星座名を呼ばれ、フォルティスはがばっと顔を上げる。候補生の少年が自分の服の袖を引っ張り、不安そうな目を向けていた。
どうやら、思っていたよりも長い間、考え込んでしまったようだった。
「白銀聖闘士のオレが言うのもなんだけど」と、とりあえず一言放ってからひとつ深呼吸をして、フォルティスは、淡々と話し始めた。
「青銅聖闘士になるよりも白銀聖闘士になる方が難しい……っていうのは、分かるよな」
「それは、まあ……。聖衣の数も違うし、白銀聖闘士に求められる能力の下限は、青銅聖闘士に比べると格段に高いですから」
期待する答えが出て来ず、南の冠座の青銅聖闘士になるかもしれない少年は、がっくりとうなだれる。
その様子を意に介していないかのように、フォルティスは淡々とした言葉を続けた。
「だから一般論としては白銀聖闘士の方が強い。それで重要な勅令も白銀聖闘士に下るし、権限も広い」
「はい……そうですよね、やっぱり」
「でもな」少年の落ちた肩に、フォルティスは優しく手を置いた。「聖闘士になった後でも、聖闘士の実力は伸びるものだ」
「え?」
「青銅聖闘士でも、白銀聖闘士の力に追いつくことは不可能じゃないはずだろ」
「あ……そうか、小宇宙には限りはないんだ。修業を続ければ、実力では並べるかもしれない……!」
ぱっと表情を明るくした少年に、そういうこと、とフォルティスはうなずいて見せた。
なんとか少年の希望をぶち壊さずに小奇麗にまとまった、という安堵感からの自己肯定のうなずきでもあったのだが、その実情は候補生の少年が知るところではない。
「そういう皮算用の前に、まず青銅でも白銀でもいいからまずは聖闘士になれよって思うんだけどなあ」
その呟きは、目の前の純粋な候補生に向けたものなのか、行方の知れない兄弟子に向けたものなのか。
それは白銀聖闘士、鷲座のフォルティス本人にも分からない。



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