聖闘士らしい仕事へ(4)



「……へえ。神殿が焼打ちとは、そりゃまた物騒だね」
「ああ。恐れを知らないって言うか、もっと生産的なことしろよって言うか」
「聖闘士が生産性を気にするのって不思議な光景だよね」
山猫座を医務室に連れていくより先に、上司のアクラエースのもとへ引き渡してから数刻。
食堂で遅めの昼食をとっていたフォルティスのところに、何か面白い話はないか、と琴座のロクシアスがやって来たので、
フォルティスは面倒くさがりつつも手短に先ほどのできごとを聞かせてやった。
「で、誰の仕業なんだって? 国の軍隊? それともキリスト教徒?」
帝国の東方で、皇帝の御墨付きで進むキリスト教の伝播は、これまでの国としての信仰の地位を大きく揺るがしている。
今や手入れがされず朽ちてきたユピテルやミネルウァ、マルスの神殿は修復もされず、神殿を彩った大理石を教会の建築の資材として持ち去られることは、珍しくない。
しかも、その行為を国とキリスト教が法律で認めているとなれば、
聖闘士が今回の事件の疑惑の矛先をそちらに向けるのはごくごく自然なことなのである。
「どっちでもないみたいだ。奴らもまだ、そこまで過激じゃない」だが、フォルティスは肩をすくめた。「近くに建っていたキリスト教徒の礼拝所も、焼かれたらしい」
「ふーん……じゃ、どっちも違うっぽいんだ。とすると、ただの狂人なのかな」
「それなんだがな――」フォルティスは丸いフォカッチャに伸びたロクシアスの手を払いのけ、声を潜める。
「山猫座が、現場で黒い鎧の男とはちあわせたらしい」
「黒い鎧の……ああ、それってつまり」ロクシアスは、ぽん、と手を打った。「暗黒聖闘士か。なるほど、狂人みたいなもんだね」
ロクシアスの言葉にフォルティスはうなずいて、フォカッチャを手元に引き寄せ、それを伝統製法の甘ったるい葡萄酒にひたした。
「ああ。迷惑なんだよな、あいつら」

暗黒聖闘士。本人達は聖闘士と名乗っているようだが、聖域にはそのような聖闘士は存在していない。
それは、聖域の生活に耐えられなくなった逃亡者であったり、聖闘士の掟を破り聖闘士としての名誉を剥奪され、
聖域を追われた者たちの集団――どうやら群れているらしい――だ。
彼らはどこから見つけたのか、聖衣と形が酷似した鎧をまとい、なまじ身につけた聖闘士の力を私利私欲のためにふるっているという。
アテナの聖域としては、彼らの行動やその被害について知らぬ存ぜぬを決め込みたい――のだが、
彼らが勝手に聖闘士を名乗っていたり、半端に聖衣らしいものを着ていることから、暗黒聖闘士が悪さを働くと、
聖闘士の、ややもすれば古き神々を信じる者たちの評判が落ちかねないため、暗黒聖闘士は本家聖闘士にとって頭の痛い存在なのだ。
そのためこういった事件が起こると、その鎮静化――と言うよりは駆除と言ってしまった方がしっくり来る、のために聖闘士が現地へ赴くことになる、が。
「聖闘士がやられて逃げ帰って来たんでしょ。そこそこできる奴らなのかな?」
現地にいて、その襲撃を受けた聖闘士が撃退に失敗しているのだ。
暗黒聖闘士の多くは聖闘士として完成されていないままに聖域を出たため、本家聖闘士との力の差は歴然としている、と考えられている。
「白銀聖闘士になったけど素行不良で、ってのがいれば、歯が立たないかもな」
「ああ……カティリナ君だっけ、山猫座の……。彼、青銅聖闘士だったね」
フォルティスの気のない返事に、ロクシアスは苦笑いを返す。
青銅聖闘士と白銀聖闘士の実力差は大きく、青銅聖闘士が三人がかりで挑めば互角――という話もある。
もっとも、一対一の正々堂々とした戦いを好むアテナの聖闘士にとって、その戦い方は邪道としか言えないものなのだが。
「近々、白銀聖闘士が派遣されるんじゃないのか」
上層部の判断を推し測る発言であるせいか、どことなく他人事のように考えているかのような無関心さを漂わせ、フォルティスは言う。
「そうだろうね」その言葉にロクシアスはうなずいた。「誰か、手の空いている――」
「手の空いている鷲座と琴座は、ここかな?」
フォルティスにつられてどことなく他人事のように話すロクシアスの言葉を遮るように、
二人にはよく聞き覚えのある明朗な声とともに圧倒的な大きさの小宇宙が食堂へ降り立った。
「手の空いてるってアクラエースさん、その言い方はちょっと……って、わ、わ、わ」
手の空いている鷲座と琴座はその言われようにずるり、と肘を滑らせ、声の主である青年の方へと顔を向ける。
背はフォルティスよりも首一つ分ほど高く、ゆるやかに波打ち肩まで伸びた白金色の髪が、真昼の陽光を受けてきらきらと輝いている。
そして顔立ちは幼いが、海の色にも似た青く大きい目には、見た目の若さよりも多くの経験を積んできた戦士の貫禄がある。
だがそれよりも目を惹くのは、彼がまとう鎧だ。耳と踵に施された翼のような意匠と、鎧全体に巡らされた蔦のような意匠、
そしてほぼ全身を覆うような、白銀聖衣では及びもつかない防御範囲の広さと、目も眩むような金色の輝き。
アクラエースがその身にまとっているのは、聖闘士の最高峰、黄金聖衣である。
だがそれも、彼の直弟子であるフォルティスにとっては見慣れた姿だ。
間近で見る黄金聖衣に圧倒されてぽかんと口を半開きにしたロクシアスに代わって、上司に言葉をかけた。
「珍しいですね、食堂に射手座(トクソテース)の聖衣で入ってくるなんて」
「ああ、カティリナを教皇のところへ連れて行った帰りだからな」
アクラエースはフォルティス達がついていたテーブルへ歩を進め、手近な椅子に腰かける。
「で、話の流れの予想はついてるみたいだな」
「ええ、まあ」フォルティスはこくり、と首を縦に振った。「アシアの暗黒聖闘士を叩き潰して来ればいいんですね?」
すると、そういうことだ、とアクラエースも満足げにうなずき返す。
「ちなみに相手は、神殿を襲われたときにカティリナが見たところ、腕が立ちそうなのが二、三人と、あとは下っ端が十数人」
「その焼打ちに出てきた分と……まだ他にもいるとすると、少し面倒ですね」
その聖闘士崩れは闘技を極めていないがためにさほど脅威とならない、とフォルティスもアクラエースも踏んでいる。
だがそれは各個撃破を行う時の話であり、相手が群れているときとは勝手が違う。
聖闘士は一対一の戦いをよしとするため、一度に何人もの敵をなぎ倒すような闘技は誰もが扱えるわけではないのだ。
「と言うだろうと思って、増援をもらってきた」アクラエースはフォルティスに笑顔を向け、椅子からスッと立ち上がり後ろに手招きをする。
するとすぐさま、その場に一人の屈強な若者と、ひんやりとした空気がその場に近づいてきた。
それは青年が持つ雰囲気が冷たいのかもしれないが、青年が入って来たと同時に、それとなく涼しい空気が流れ込んだ、という感覚だ。
そしてその冷気の発生源と思しき青年は、寒がるどころか涼しげな顔をしている。
年の頃はフォルティスと同じか少し上か、
若干小柄なロクシアスとは頭一つ分ほどの差がある長身とがっしりとした体つきは、見知らぬ人だったら北方の蛮族かと早合点して恐怖を覚えても無理もない。
だがそれも、二人の白銀聖闘士にとっては見慣れた仲間である。
「ああなんだ、鯨座(ケートス)のグランドーじゃないか」
見知った顔が出てきたせいか、ようやく緊張が解けたらしいロクシアスが口を開いた。
鯨座のグランドーと呼ばれた黒髪の青年は、ん、と言ったか言わないか、軽くうなずいた。
議論好きなギリシャ人が圧倒的多数を占める聖域内ではあまり口数が多い方ではない男だが、
仕事の上で支障が出るほどではないので、誰も気に留めていない。
「お前達の方がよく知っているだろうから、紹介は省くけれど」黄金聖闘士はいたずらっぽい笑みを浮かべる。「頼りになる方だろ?」
「はい」「ええ、とても」二人はその言葉に即座にうなずいて一礼した。
それならよかった、と言うようにアクラエースは二人に微笑み返すと、今度は鯨座に向き直った。
「じゃあグランドー、後は頼むぞ」
すると、お任せ下さい、とでも言うように、グランドーが頭を下げる。
「カティリナがいたペルガモンの近辺に、奴らの拠点があるはずだ。吉報を待っているぞ」



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